JUNQUO的博客

「もっと知性にやう゛ぁんを」を座右の銘にするにむらじゅんこのヨロズ帳
from 巴里・上海・東京。
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Autoportrait de Zao Wou-Ki
JUGEMテーマ:読書




Zao Wou-Ki, Autoportrait, Edition Fayard, 2008

趙無極著『オートポートレ(自伝)』を読了。

 

 

20世紀前半にフランスに渡った画家で、世界的な大活躍をした中国人画家といえば、やっぱり、ザオ・ウーキー。ザオさんの自伝が出たので早速取り寄せてみた。

 

1921年に北京で長男として生まれたザオさん。ザオさんの人生は、ほかの中国人に比べると、実にラッキーだ。父親は金持ちの銀行家。今までに一度もお金に困ることなく暮らし、文化大革命で同僚・両親・家族たちが路上で三角帽子を被って「批判」されたり、牢獄に入ったり、下放させられたりしていたのに、ザオさんはその時、フランスばかりではなく、ロスなどの海外で展覧会を催したり、香港の趙美人女優のMayと再婚したり、ポルシェに乗り回したり……。

 ザオさんは実に楽天家だ。そして、文章を読んでいる限りは、なかなか温和な普通の人に思える。

 




以下、ひっかかった箇所の抜書きとメモ
 

 

 

(ザオさん、1948年に始めてパリにやってくる。妻の謝景藍と一緒に)。

私の妻がカルチエ・ラタンに行こうという。私は自分がどこにいるかわからず、頭を左右に振った。

「カルティエ・ラタンって、モンパルナスの近くなのかい?」

 私は「モンパルナス」という言葉は知っていた。というのも、そこがアーティストの街であると聞いたから、そこに住みたかったのだ。モンパルナス以外のところに住む気はさらさらなかった。タクシーの運転手は、学生も多いよといいながら連れていってくれた。私はホテルを探した。そのホテルは一泊6フランで、当時の私にしては高かった。それで三日後にホテルを変えた。私は「グランドショミエール絵画塾」のことを知っていた。中国の雑誌によくこの名が登場していたからだ。それで、グランドショミエールどおりの近くにある通り「Delambre通り」のホテルに移った。シャワーがついているいい部屋だった。そこに私はかなりの間住んでいた。そして、その後もモンパルナスを離れることはなかった。(p.22

 

 

当時の中国でも、モンパルナスは「蒙帕那斯」とか「蒙巴那斯」とかいわれ、徐志摩の小説《巴黎的鱗爪》の舞台としても登場する。

 

 

フランスにやってきたばかりの時、私は「中国人画家」というレッテルを貼られたくなかった。私は長きに渡って中国絵画の技術を、とりわけ墨の技術を習得していた。それは私にとってたやすいことだったので、この特権を前面に出そうとは思わなかったのだ。(p.69

 


 ↑

でもこんな写真撮っているよね・・・。ザオさんは「シノワズリ」という言葉が大嫌いだったようです。
 


© Adelmann/Zao Wou-ki(1970)


 

1941年に私は重慶でヴァディム・エリセフに会った。彼はフランス大使館の文化アタシェだった。46年に彼がチェルヌスキ美術館で、「中国現代絵画展」を催し、1945年に描かれた21枚の油絵と9枚のデッサンが展示されたが、これはパリに住む中国人画家たち、中国人アーティスト協会のメンバーたちの間で顰蹙を買ったものだった。あの作品は今はどうなったであろうか。(p.96

 

調べてみると、エリセフの展示は100点以上に及ぶ。中国人アーティスト協会の作品も展示されていたようだが、ザオさんの記憶、大丈夫かな。

 

 

 

 (フランスに到着して)最初の数年は、私は言葉の問題で中国人と交流をしていた。現在はもう、当時の中国人の友人との交流を保っていない。パリの小さな中国人アーティストのコミュニティーには、画家や彫刻家もおり、私の人生からは消え去っていった。当時は。芸術的な生き方について情報などを交換していたわけであった。このようにして私はグランドショミエール画塾の噂を聞き、Otto Frieszの授業に規則的に出た。(p.75

 

中国人の友人とは、Sanyu(常玉)のことか。実際、ザオ夫妻がやってきたのは、常玉の近くだった。

常玉は、コキュされたザオさんの元妻の謝景藍(ららん)と一生友人だった。謝景藍は彼女自身もアーティストで、のちにMarcel Vam Thienen (マルセル・ヴァン・ティーナン)と結婚してLalan Van Thienenになっている。ラランは音楽、ダンス、絵画となんでも手掛けたマルチアーティストで、1972年のクリス・マルケルの映画「vive la baleine」の音楽を手掛けている。

 

| にむらじゅんこ | シノワ | 16:09 | comments(4) | trackbacks(11) | pookmark |
徐志摩:中華民国の波希民(ボヘミアン)詩人

 

 友人でいつもおもしろいブログと素敵なイラストを描いているm-cheungさん。
すてきなチーパオをお披露目していますが、私は男性の長袍(チャイナドレスの男版みたいなやつ)がすきで、でも、あれが似合う人っていうのは(爺さん以外に)意外と少なく、若くて着こなせる人というのはあまり見ない。

でも、徐志摩は似合う。

徐志摩(右)。

ロマンティックな唯美派詩人、徐志摩(ジョシマ、1897−1931)。飛行機事故で夭折した、私の好きな画家、常玉(サンユ)の親友のひとりでした。 

彼は米英に留学し、英国ではブルームズベリー・グループの人々の知識人サロンに出入りし、彼はかつての中国にはなかった美学に目覚めます。

彼は、1920年代、中国の知識層の軸でした。20世紀英国においてボヘミアン的に文芸的公共圏の性格をとどめていたブルームズベリー・グループをモデルに、新月社を1924年に発足します。新月社は出版社でもありましたが、同時に文芸/社会的サロンでもありました。読書会、議論・討論会、演劇上演などを行い、出版社を創設し主に友人達の著書を発行していきます。新月社は自由意思による恋愛の場でもあったようです。メンバーは恋愛と友情が錯綜する男女交際から創作の素材と刺激を得たといわれています。

こんな徐志摩の女性関係は中国や台湾でドラマになっていますよね。私は見たことないけど。

 そんな徐志摩は、常玉(http://junquonimura.jugem.jp/?eid=110)の描く裸婦の太腿を「宇宙太腿」と形容して賞賛していました。たしかに、常玉は、かなりの脚フェチです。そして、徐志摩もそうだったのかな。

常玉1930年ぐらいの作品。モデルはキキ。

この徐志摩、常玉をモデルにした短編も書いているんです。タイトルは「あなたは素晴しい肉体を見たことがありますか?(先生、你见过艶麗的肉没有?)」

内容は、巴里に半年ぐらい滞在・遊学していた徐志摩が、常玉の家を訪れ、「裸婦」について語り合い、徐志摩が女性の裸体に開眼する、という話です。今、翻訳中なのですが、徐志摩の文章って滅茶苦茶に難しい……。謎の飛行機事故で徐志摩が死ぬ寸前に出版したみたいですが、これは、どうやら、一種の日記みたいなものみたい。中国における日記書簡体文学ブームというのが20年代後半―1936年にあったみたいだけど、この時期、日記書簡は自己表現だったんですね。今のブログみたいなものかな。



キザだけど似合うなあ。

| にむらじゅんこ | シノワ | 12:14 | comments(0) | trackbacks(99) | pookmark |
革命おぺら


「革命的模範劇」とか「革命現代京劇」といわれている、キッチュな中国のお芝居。これらは、文化大革命(66-76)期に、毛沢東夫人の江青がディレクションしたものです。
これこそ、まさに、私が小さな頃に抱いていた中国のイメージ! 初めて映画のジャケットを見たときから、なんだか懐かしい不思議な気分に襲われ、その場に倒れそうになったくらい、その演出や美術のとりこになりました(内容はおいておき)。
抗日がテーマになっていようが、いまいが、そんなことは私にとっては、どうでもいいのです。とにかく純粋に、ガーリー道まっしぐらな女の子たちに、首ったけになりました……。で、とにかく集められるだけのグッズを、私は上海で、オリンピアおじさんは香港で集めました。
出版したいのだけど、こんな本を出してくれる出版社は日本にはあるのかしら?
もう、デザイン済みなのだけど。

この「革命的現代京劇」は、フランスではL’Opera Revolutionaire などと呼ばれていますが、正式には、京劇だけでなく、バレエや交響曲も入って8つ。このときの中国の人口は約八億人だったので、「八億人に八つの芝居」といわれていたそうです。しかし、10年間に、たった8つのエンターテーメントって、ちょっと、嫌ですね。

革命風ガーリー少女が主人公です。

小道具もイカします

ちょっと浜崎あゆみ風

こんな女の子にだったら打たれてもいいかも。ばきゅ〜ん



極左のイデオロギー・ツールとして、大活躍した芝居のイマージュを、フランス人(元アナーキスト)のおじさんが再発見すると、こんなにお洒落にみえるのは、どうしてでしょうか。
オリンピアおじさんの作っているサイト「TOFU」もおもしろいですよ。




| にむらじゅんこ | シノワ | 00:22 | comments(12) | - | pookmark |
長野の消火活動


長野の聖火の消火活動に参加したい。
ギー・ド・ボールのいうところのDetournement(ハイジャック)を実践しようと思い、
可愛いプラカードたTシャツをつくりたく
現在、いろいろデザインを考えている。

でも、イラストレーターが使えないので、こんな下手な絵しかかけない。
このパンダの顔を毛沢東の顔をコピペして貼り付けたいの。誰かに手伝ってもらわなきゃ。


今「殺殺(シャーシャー)君」もっているのは斧とピストルなんだけど、
これじゃあ皮肉は足りないな。
お金と毛沢東手帳を持たせるかな。

時間があったら着ぐるみとか作りたい。そして、エコバックとかもプリントゴッコでつくりたいなあ。

こういうコトを考えるのが最も楽しい時間ですね




| にむらじゅんこ | シノワ | 15:54 | comments(0) | - | pookmark |
北朝鮮と中国の友好プレー
ル・モンド・ディプロマティーク http://www.diplo.jp/ で私が担当した『北朝鮮の核実験を中国から見ると』が本日、配信されました。

その記事は、「アメリカが北朝鮮を攻撃しない5つの理由」が核になっているのですが、敢えて「なかなか金正日は賢いのだなと」思いました。その5つの理由をかいつまんでわかりやすく説明しますと…


1/
アメリカは、核保有国を攻撃したことはない。核を保有しないイラク攻撃の際には躊躇しなかった。1999年春に爆破されたユーゴスラヴィアも核を保有していなかった。

2/
金正日政権を転覆するためのコストが高すぎるからアメリカはアタックしない。試算によれば1兆ドルの出費が必要。これはアフガンやイラクで無駄金を使いすぎちゃった現在のアメリカには高過ぎて手が出ない金額だという理由。

3/
中国と北朝鮮が結んでいる友好協力相互援助条約が有効だということ。北朝鮮が侵攻された場合、中国は北朝鮮を支援する義務を負っている。アメリカは、中国と交戦するようなことは望んでいない。

4/
中国は、台湾を統一したがっている。北朝鮮は、数万人規模のアメリカ軍を韓国で釘付けにすることで、中国の国家統一計画に対するアメリカ軍のプレッシャーを緩和している。つまり、アメリカ(と世間)の注意を逸らしてあげることで、中国を援護していることになる。だから中国は絶対に北朝鮮を見放すことはできない。

5/
ロシアは北朝鮮と複雑な関係を保っているため、アメリカがこのアジアの隣国に軍事力を行使すれば、「地政的安全保障」の見地から非難するだろうという推測


 訳しているうちに、やっぱりアジアの中心は外交に長けた中国政府のものになってしまうのだなあ、という実感がひしひし伝わってきました。

 2週間ほどまえ北京で開かれた「アフリカ会議」では、中国政府の大胆すぎる野心に度肝をぬかれました。胡主席は、昨年の390億ドルだった貿易額を2010年までに1000億ドルにするといいます。資源確保のためとはいえ、ダルフール住民虐殺で世界中からシカトされているスーダンのバシル大統領やアンゴラの大統領もいて、「人権よりも金」という、あまりにもガツガツした主席の姿勢に憤慨! 人権や民主主義を切り札に援助を続けてきた欧州の努力が水のアワ。
 でも、私の上海の隣人たちは、そういうニュースを知らないし、私が説明したところで何かを理解してくれる可能性もない。「知らぬが仏」とはまさにこのことで、本当に無邪気な子供のように皆生活して暮らしている。隣の靴屋さんも、私のお手伝いさんも、アフリカ・フォーラムがあったことさえ知らないし、娘や息子たちに少しでもいい教育を受けさせるために貯金することだけを楽しみに生きている。
 知識や情報って、一体なんなのか。パリに居たころは「知識」が「力」だと思っていた。でもアジアに居ると時々わからなくなる。
 



| にむらじゅんこ | シノワ | 00:09 | comments(7) | trackbacks(70) | pookmark |
南Y(ラマ)島で海水浴する
昼間のビーチは大嫌いだけど、早朝と夕暮れのビーチは好きなので、南Y島のビーチまで歩きました。南Yでの散歩は、最高! 豆腐花屋で寄り道したり、小鳥のさえずりやら、蓮の花が沼に咲いている様子やら、ジャスミンの花の香りやら、鈴虫やら、そよ風やら、5感を刺激する心地よい刺激が一杯。


ビーチにつくと、にゃんこたちがワラワラと寄ってきて、一緒にお昼寝しました。その後、冷たいけど我慢して海に入りました。誰か先客が泳いでいるな、と思って近付いたら、わんこでした。で、わんこと一緒に泳ぎましたが、向こうのが上手かったです。そのわんこはお行儀が良く、網の向こうにはいかず、なん海水浴のルールを知っている風でした。こうやって寝ていたらニャンコが数匹やってきて一緒にねてくれた
| にむらじゅんこ | シノワ | 09:42 | comments(6) | trackbacks(30) | pookmark |
“二本の足で歩く”中国


中国に進出したけど、ダメだった。
こんな企業が山ほどあります。快調な滑り出しを見せておきながらも全く残念な結果におわって、そして撤退。儲かる話が、全然儲からないし、儲かる見込みもなくなってきちゃった。そして、「中国脅威論」が囁かれ、「中国ってそんなひどい国だったのかあ」ということになちゃう。

 そんな話を、ますますよく聞く今日この頃、フランソワ・ジュリアン氏が、『ル・モンド・ディプロマティーク』「西洋思想によって照射された中国思想」という文を奇稿していたので、斉藤かぐみさんと私、それに岡林さんで訳しました。ひどく難解な文章でしたが、面白い記事でしたので、ビジネス面でも文化面でも中国と携わっているかたがたに是非読んでいただきたいと思います。

 その著者のフランソワ・ジュリアン氏は、現在57歳の中国思想のスペシャリスト(フランスでは、東洋文化に興味がある方ならば、誰でもその名ぐらいは聞いたことがある人です)。

 彼はギリシア哲学を研究した後、中国思想に関心を寄せ、1975-77年のまだ文革が終わっていない時期に北京と上海で学び、1978-81年には香港に中国学フランス支部の責任者として赴任し、1985-87年には東京日仏会館に滞在しています。現在パリ第七大学教授。数年前まで、国際哲学コレージュの議長を務めていました。日本語訳には、『無味礼讃』(興膳宏・小関武史訳、平凡社、1997、現代は“ Eloge de la fadeur”)があります。 この『無味礼讃』、『美味礼讃』のパロディーとも、『陰翳礼讃』のエコーような一冊で、無味(仏「Fadeur」、中国語「淡」)について書かれたエッセー。この概念こそ、中国のもろもろの芸術―絵画、音楽、あるいは詩の中にあり、中国の思想文化の意識の底にあるイデオロギーだといいます。

「中国人の物事の運び方は、今では私たちと同じであるという反論をよく聞く。私たちと同じように計画を立て、同じようにモデル化を行っているではないか、と言う。確かにその通りだ。しかしながら、彼らが私たちの体系の整合性から引き出したリソースを存分に利用する一方で、数千年にわたって自分たちが構築してきたリソースにも立ち戻れる可能性を温存していることを忘れてはならない。二つのリソースを使い回せるというのは、現在の中国人が手にした大きな利点であり、戦略的に活用されている。」

 うーん。たしかに、彼等は、戦略を知っているとおもう。マックでいうと、os9 とos10が入っていて、あっちにいったり、こっちにいったりする。それで、こっちのosがひとつだと何時の間にか不利な立場になっていることもある。さすが『兵法』の国です。

孟子とパルメニデス
| にむらじゅんこ | シノワ | 11:41 | comments(7) | trackbacks(10) | pookmark |
ホーロー食器たちの、かすかなバタ臭さ
ベタなバタ臭さは嫌いだけど、ほのかに匂うバタ臭さは可愛い。
で、ホーロー食器は私のお気に入り上海雑貨のひとつ。中国人たちは「貧乏くさい」って笑うけど。



「ホーロー」って、漢字で書くと「琺瑯」。中国語でも琺瑯と書き、(ファーラン)と読みます。でも、パンダやら子猫の絵がスプレーされた愛すべき中国的可愛的琺瑯は、今でもショップでは時々見つかるとはいうものの、もうほとんど上海では生産していないことが判明……ちょっとショック。一件だけあるホーロー工場では、ストリートのサインや看板を専門に作っているぐらいなんですって。

昨年のお誕生日に、ミワからいただいたミニミニ琺瑯食器。ミワのサイトは、http://plaza.rakuten.co.jp/polkadotprincess


で、ホーローって、ちょっとエキゾティックな響きですよね。いかにも当て字っぽい。実は、ルーツはエジプト! ツタンカーメンたちファラオのマスクなんですって。そして、ケルン市立博物館刊行の著書によれば、エーゲ海のミコノス島で見つかったホーロー品が、今のところ世界最古(紀元前1425)の品なんだそう。

エジプト → ギリシャ→ 東ローマ(ビザンチン)→ シルクロード → 中国 を経て日本にたどり着いたのが聖徳太子の時代。当時のものは、いかにもインダストリアルなホーローではなく、金や銀などの高級な七宝焼のような手の凝った工芸品で、生活雑貨ではなかったようです。

実は、ホーローが実用的な生活雑貨になったのは、グッとさがって、産業革命以後のイギリス。ソーダ灰の製造法(1792年)、ほう砂の精製法(1860年)の発明と時を同じくしていたようで、用途は、「鉄のさび止め」。そして1924年にヨーロッパでホーローの大量生産がスタートします。かつて明の時代には中国はすばらしい琺瑯の工芸美術品を作っていましたが、現在、生活でお目にかかるようなマスプロダクトのホーローは、租界時代に発展したのです。ホーローの中にある、かすかな「バタ臭さ」は、こんな経緯があったのですね

ミワと復興公園(旧French Park)でピクニックする。かつては、ここでパリ祭が7/14に行われていた

日本琺瑯工業会のHPには、「ホーローは、(日本の)陸海軍の食器として使われていた」とありますが、今でも中国の田舎の大学などでは、こうしたホーローが食器として使われています。ホーロー食器で食事すると、なぜかレトロ+ちょっと郷愁っぽい気分になれるのは、ホーローが世界のあちこちを旅してきたからなのね。

左の文化大革命チックな琺瑯は、上海在住の友人のリンダ・ジョンソン(「Madame Mao's Dowry」のオーナー、英国人)が作った。よくみると、このお皿、上海で行われている「F1」がモチーフになっていて可愛い!
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| にむらじゅんこ | シノワ | 19:16 | comments(4) | trackbacks(15) | pookmark |
上海ミルク飴
 私のお父さんが上海に来てくれたとき、
 「会社の人たちに、上海土産として適当な箱詰めお菓子でも買いたいんだけどー。何を買ったらいいかわからないな」と悩んでいました。
 東京だったら「ひよ子」、パリやブリュッセルだったらチョコレート、北京なら麻花、広東でしたら杏仁豆腐などがあるでしょう。でも、上海の土産菓子って……?

酸昆布のような味の果実や、甘過ぎる蜜銭(ルビ/みつせん)、ヒマワリの種のようなものはあるけど、こういうババ菓子類は見栄えも悪いんですよね。

こんな状況下、在上海アメリカ人たちの間では「大白兎」ブランドのミルクキャンディーをお土産にしている方が多いと知りました。飴ごときを土産にするのは多少気がひけちゃうけど、実は「大白兎」は上海甘味の顔! この飴は、周恩来の好物で、1972年に周恩来がニクソン大統領にプレゼントをして以来、アメリカで「White Rabbit Candy」と呼ばれ、チャイナタウンの人気商品になっていきました。

右はミカン入り(新製品)。左はあずき入りミルクキャンディ

 オブラートに包まれたミルク色のこの飴、包み紙には“牛乳飴”と記され、ほのかな練乳の味がします。レトロなデザインの包装紙は、1959年から変わっていません。上海では、食料が不足気味だった70年代に“固形牛乳”として流行し、「飴7粒が牛乳一杯の栄養に相当する」との神話が生まれ、お湯に溶かして飲む習慣さえ根付いていました。

骨董屋さんで発見!

 もちろん、牛乳は、外国人たちが上海にもたらしたものです。中国西方では羊のミルクなんて飲んでいましたが、東海岸には乳製品文化は租界以前には、ほとんどありませんでした。



食生活への乳製品の導入は、上海人たちの健康の概念を覆しました。従来、道教や儒教的文化背景のもとでは、健康という言葉は「長寿」と同義語に近かったはずです。ところが租界時代に西洋文化の中で暮らしていた上海人たちは、健康が「健やかな肉体」に結びつくことを覚えていきました。均整のとれた丈夫な体は、理想的な家族像に結びつきます。こうして、「家族愛」のイメージを背負った牛乳のまろやかさは、まるで「優しいママ」の象徴のように上海家庭に浸透していったのです。


 このミルクキャンディ「大白兎」を製造している会社「冠生園」は、1918年創業の老舗食品会社です。租界時代のコスモポリタンな上海で生まれ育った「冠生園」は、上海の食風景を塗り替えた革新的なブランドとして知られています。大量の舶来食品が上海市場を占めていた中、「中国人のための中国お菓子を作ろう」と、31才の洗冠生が思い立ち、自宅で作った砂糖菓子を映画館で歩き売ることからスタートします。
まんなかのまんまるの方が創始者です

最初はこんな道具で作っていたそうです

洗氏に商売の才能を見い出したのは、中国映画の父として知られる鄭正秋(チョン・チョンチウ)でした。鄭監督が仲間に声を掛けて資金を調達し、こうして「冠生園」が創立されます。
 上海では、1896年、“西洋影劇”という名で映画が上映されます。初めて中国の人々の目に触れた映画は、内陸大都市へと広がっていき、やがて新しい娯楽として中国に定着していきます。映画の爆発力とともに、「冠生園」の菓子も上海から重慶や南京などの都市に流布されていきました。また、当時の大人気女優・胡蝶をイメージキャラクターに用いたりするなど、商品の宣伝に非常に力を入れたことでも知られています。
トラムウェイを宣伝手段に

 現在、冠生園は、中国でも最大規模の食品集団として「ダノン」「コカ・コーラ」「大塚製薬」などと提携して二千以上に及ぶヴァラエティーに富んだ食品を提供していますが、そんな中、既に47歳の大白兎も相変わらずの跳躍ぶりを見せています。大白兎の年間売り上げ総額は、6.1億元。さらに、海外での利益は1.6億US$ 。世界47ケ国の人々に愛されているそう。6億円分の飴って、いったい何個なんでしょう?


おまけ:変な新聞記事発見。「老人が派手な交通事故にあった。気を失って倒れた彼のポケットからは、ミルクキャンディーが! 調べると、老人は骨折さえしていなかった。特別に体を鍛えているわけではなかったが、大白兎のミルク飴を長年にわたってなめていたのでカルシウムが充分に補給されていたと考えられる、うんぬん」本当にあった話らしいです

ちなみにこの飴も同じ会社。包み紙がレトロ!
| にむらじゅんこ | シノワ | 11:36 | comments(8) | trackbacks(13) | pookmark |
タヒチの客家人
タヒチにどうやって中国人がやってきたのだろう? と不思議に思っていると、こんな本をみつけました。「フレンチポリネシアの客家たち」。シノ=
タヒチアンのジミー・リーさんによる著書です。


本によれば、フレンチポリネシアに中国人がやってきたのは、19世紀後半。彼等の多くは客家(ハッカ)だとか。客家は、客家語を話す中国のディアスポラ。客家のもとの故郷は、中原ですが、時代とともに南下し、広東省や福建省に落ち着いていました。

さて、そのフレンチポリネシアの客家たちは、深センの近くからやってきたようです。具体的には、恵陽(フイヤン)、東莞(トンカン)、宝安(パオアン)を結ぶ三角地帯のあたり。アヘン戦争後の混乱を被り、荒廃したこの土地に伝染病や、大飢饉、自然災害といった災難が重なり、彼らはこの地を去って、一刻も早く新天地を探す必要に迫られていました。 それでタヒチに白羽の矢が! というわけです。中には、ハワイを選ぶ人たちもいました。「フレンチポリネシアの島々は、移民を断らない」という噂があったといいます。

タヒチについて島に住むことを受け入れられた彼等には、番号がつけられました。名前を剥奪されてナンバーで管理されるなんて、なんて非人道的! しかも、その後、ファーストネームもフレンチ風に改名されました。というのも、1973年の政令で、フランス風ネームを持つ中華系住民にフランス国籍が与えられやすかったのです(戦後、ド・ゴールは、タヒチのポリネシア人にはフランス国籍を与えたのですが、彼等中国人にはフランス国籍を与えませんでした)。
 こうして、少しづつタヒチの客家たちの民族的・文化的アイデンティティーは剥ぎ取られていき、現在では、客家語さえも忘れられていっています。貧しかったころには連帯し、客家語がその連帯を強くする役割を果たしていたものの、念願の市民権を得た今、コミュニティの連帯が必要なくなっていったのです。ジミーさんは、「客家の長い歴史の中で、客家語と客家文化を忘れていったのは、僕らフレンチポリネシア系が、おそらく初めてではないか」と言います。

でも、考えてみれば、客家たちは中国国内にいた時でも、中原から南下しつつ、広東・復建に辿り着くまでに、様々な「よそもの」たちと血のブレンドをくり返してきました。これが、大昔からの客家たちの伝統だったのならば、その伝統は守られているようです。ポリネシアンやフレンチたちと長い時間をかけてブレンドしあったシノワ系タヒチエンヌたちは実にエキゾティックでした。
| にむらじゅんこ | シノワ | 12:28 | comments(4) | trackbacks(21) | pookmark |
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