JUNQUO的博客

「もっと知性にやう゛ぁんを」を座右の銘にするにむらじゅんこのヨロズ帳
from 巴里・上海・東京。
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ロマン・ロランの爺さん家

フランス政府の退避勧告によって半ば強制的に帰国している私たち。
現在、ブルゴーニュのシャブリの近くにあるお婆ちゃんの家に住んでいるのですが、この家が、なんとも不思議・・・。この家の敷地は、「Le Moulin (ル・ムーラン・水車)」という呼び名なのですが、外からみると古〜い田舎の家。



 


なんと、この家は資料によりと、12世紀に遡るそう。現在、原型をとどめているのは、16世紀に大改造されたときの形です。

でも、インテリアは完璧に1960年代風! レトロポップな椅子や家具は今から見ると斬新! パントンチェアやら、イームズなどもたくさん。 実は、カリーヌのおじいちゃんは、室内インテリア・デザイナーだったのです。







資料を調べていくにわかったのですが、この家は、中世期はマリアンヌ教会に属する家だったようです。その後、1599年に大工の棟梁であるショマール氏のものになり、ショマール氏とその弟子の手によって大改造され、そのままショマール氏の子孫がフランス革命まで所有していたようです。

 

革命後はプリュドーさんという人が買い、その後、なんと、この家は、ノーベル平和賞受賞の作家、ロマン・ロランの曾爺ちゃん(Antoine Francois Courot)が1836年にこの家を買ったことがわかりました。ロマン・ロランも夏のバカンスでこの家に過ごしていたという記録もあります。ちなみに、わが娘カリーヌのお爺ちゃんがこの家を買ったのは1960年代初頭です。

 

 ロマン・ロランといえば、もちろん「ジャン・クリストフ」の作者だけど、それ以上に人道主義的教養人。20世紀初頭にパリに留学した東洋人たちに多大な影響を与えた人です。京都には「ロマンロラン研究所」がありますが、上海とのコネクションも強いですよね(中国語だと羅曼・羅蘭。なんかかっこいい)。この人、魯迅の『阿Q正伝』をヨーロッパに初めて紹介した人です。ちなみに、ロマン・ロランを初めて中国語に訳したのは、ピアニスト、フー・ツォンの父の(フー・レイ) 1920年台のパリに留学していた傳雷は、私の研究中の中国人画家、常玉(サンユー)との交友もありました。

 

実は、このお婆ちゃんのブルゴーニュの家、時々、「バカンスの家」として、バカンス期は、週貸し・週末貸しをしています。
http://le-moulin.net





7つベッドがあるので、家族・友人連れでお客さんがワイワイやってきて楽しいです(お客さんが来るときは、私たちは敷地の奥にある「大工のアトリエ」に移動して住んでいます)。お客さんは、なぜか英国人が多いです。 

 

しかし、日本のように、スクラップ・アンド・ビルド文化じゃない場合、掘れば掘るほど、いろんなものが過去に出てくるものですね。まさか、今住んでいる場所にロマン・ロランが出てくるとは・・・!



 

 

ごらんのとおり、鳩舎もあります。鳩舎というのは、昔のヨーロッパではステイタスの印のようなものだったようですね。今は猫の寝床です。






サンルームもあります。 ロマン・ロランもこの景色を見ていたはず。



今日はカリーヌの9ケ月の誕生日です。これからも健やかに育ちますように。
そして、ロマン・ロランのような精神の持ち主になりますよう・・・。

| にむらじゅんこ | パリ | 16:38 | comments(8) | trackbacks(2) | pookmark |
ミッシェル・シオン
JUGEMテーマ:音楽

Michel CHION さんが来日しており、昨日(11月25日)、早稲田大学での彼の対談(聞き手は小沼純一先生)の通訳を務めた。




シオンさんは、1947年生まれの映像と音の研究者。かつ、ミュージック・コンクレートの作曲家です。現在、パリ第三大学はじめ、高等映画学校などの教授をしています。
私が彼の音楽に出会ったのは、1990年代の頭。当時、具体詩に夢中で、ベルナール・ハイドシーク(エティック)なんかのレコードを愛聴していた時代、具体音楽にも、当然の流れのごとく、興味を持ちました。最初に買ったのは、たしか、このメタムキンのCDです。






 ↓シオンさんのこの「映画の音楽(La musique au cinema)」は、1995年に出版された名著で、今でも出版されつづけていて、とくに南米で愛読されているそうです。
La musique du film ではなく La musique au Cinema というタイトルにしたのは、映画のためにつくられた音楽に限定したくなかったからだそうです。









実は、映像用語も音楽用語も専門用語は詳しくないので、焦って緊張していたけど、シオンさんは根気よく、ゆっくりしゃべってくれました。しかも、ちゃんと、私が逐次訳するタイミングをつくってくれました。気難しい人かなあ、とおもっていたけど、すごく気さくな優しい人でした。


印象に残ったのは、早稲田の学生たちが目を輝かせてシオンさんを聞いていたこと。
そして、シオンさんによるピエール・シフェールの話も印象的だった。

「むかし、雲っていうのは、形のない無形のものだと思われていた。でも、英国のある科学者が、雲の形には類型があることをみぬき、雲の形に、名前をつけていった。そして、雲の形が世界中で同じ形をしているか確かめるために、世界一周をしました。ピエール・シフェールは、それを音でやろうとしていたんです」


また、講演の後、鮨屋でオハナシをしたときに、
「多くの人がミュージック・コンクレートの定義を間違っている」と嘆いていました。日本の辞書にも「musique concrete」という項があるけど、なんか、環境音楽みたいな定義になっています。
「具体音楽と環境音楽は何の関係もないのに!」と嘆いていました。
あと、電子音楽と具体音楽が同意義だと主張しているのも私には意外に思えました。

「また、音楽作品そのものが作品として成立するようになったのが15世紀ぐらいであって、実は絵画などに比べたらとっても遅い」というのも、目の覚めるようなものでした。音楽そのものはあっても、音楽は、パロルやダンスや儀式のためのもので、自立していなかったと。 


また、東京の「音」について印象的だったのは、
「自動販売機や、エレベーターが、自分にむかってしゃべる」のがおもしろい。 と言っていました。


あー、なにはともあれ、講演がおわってよかった。

と、思ったら、大里俊晴さんがお亡くなりになったことを知らされました。
最初、「通訳をしてくれないか」というお話をもらったときに、
「私より、大里先生のほうが向いているよな〜。大里さん、ダニエル・シャルルの弟子だし…」と思い、大里さんのことを思い出していたのです。

大里先生は、すごく純粋な人で、いつも同じ服を着ていました(笑)。そして、いつも、おやじサンダルを履いていました。最後にお会いしたのは、今から10年以上前だとおもいます。先生が大学におつとめする前だとおもうのですが、ラジオをやっていて、そのラジオにゲストとして呼んでいただいたのです。フランスの音楽のことになると目を輝かせる方でした。ジェラール・マンセが大好きと言っていたような記憶があります。

しかし、本当に、いい人ほど早く逝ってしまうんだなあ〜。合掌。ご冥福を祈ります。










| にむらじゅんこ | パリ | 13:43 | comments(3) | trackbacks(16) | pookmark |
かっこいい妊婦Tシャツ





日本では、すごいかっこいい妊婦さんというのに出会ったことがない。

ところが、今年の夏、パリでかっこいい妊婦をみた。ロングTシャツをきていて、おなかを隠さず、むしろ強調。しかも、おなかのところにメッセージが入っているの。

 



これ、お騒がせ政治家のベルナール・タピの義理の娘が立ち上げたブランド2 coeurs sour le meme toi」で、生地はオーガニックコットン100%の純フランス製なのだそう。




 

妊娠7ケ月ぐらいになれば、相当の迫力があるよね。妊婦じゃなくて、

中年のおっさんが着てもOK! おっさんでも、妊婦でも、おなかのところにメッセージが書かれていたら、このメッセージには絶対に注目が集まるな。





 

おっさんの場合はともかく、妊婦さんの場合は、ここに書かれるメッセージは、なにズンとくる神聖なものがいいなぁ。「ナイキ公園反対」とか、そういうメッセージがいいな。

 こんなTシャツ、はやく着たいなあ。

 

| にむらじゅんこ | パリ | 22:31 | comments(10) | trackbacks(5) | pookmark |
仏越画家1  フランスとベトナム


前回のエントリーで常玉のことを書いたが、どうして日本はアジア美術にこんなにも疎いのかと、書きながらつくづく思ってしまった。常玉は台湾でとりわけ人気画家だが、アジアでは、インドネシアやシンガポールにもファンとコレクターが多い。中国ですら常玉のことを語りはじめたのに、日本では未だに、どんなメディアにも語られたことがない。


昨日の午後、ベトナム美術の専門家のジャン・フランソワ=ユベールさん(サザビーズ、クリスティーズのアドバイザー)と会ったが、ユベールさんも同じようなことを言っていた。

「東京がアジアのアート・キャピタルにならなかったのは、日本が日本という国のシステムの中しか見ていなかったからでしょうね、残念ながら…」。


「アートというのは、鏡だ」とユベールさんは言っていたけど、確かに美術そのもの、そして美術に対する言説には、帝国主義的な要素とか、ジェンダー的なものとか、オリエンタリスム的視線とか、抵抗手段とか、様々な要素が織り交ぜられていて面白い。日本がアジアン・アートから宙吊りになってしまっているのも、単に経済的な理由だけでなく、明治時代から頭に叩き込まされてしまっている脱亜入欧的なスノビズムを日本という国が払拭できていないのが理由のような気がする。


ユベールさんの話を聞きながら、思い出したのは漫画美術館の話だった。麻生首相とその近辺の人々は、漫画やアニメの他国(とりわけ西洋)への影響をもって、日本の文化力を証明しようとしているが、それはオナニスムそのもので、カッコ悪いことこのうえない。

第一に、文化の影響力というのは、水のように高いところから低いところに流れるものではない。第二に、漫画がすばらしい文化であることを日本政府が叫ぶ必要は全くないし、叫べは叫ぶほど(=ヘゲモニーを作ろうとするほど)、しらけてしまうのが道理であることを知るべきだ。政府が叫ばなくても、国境を越えるものは、勝手に越えるのだし。

 

LE PHOさん

 

話が逸れたが、20世紀のベトナム絵画も、現在、最も注目されているドメインの一つなのだそう。10年前に比べて、価値が10〜20倍になっているというからすごい。それに、ベトナム人はお金を海外に持ち出せないので、買っているのは周囲のアジア人なのだとか。

 Le Phoさん

 

この絵は、Le Pho(黎譜)さん(1907-2001)のもの。
観音様とマリア様が合体したような美しさと、 シルク画の優しさがなんともフェミニンでいい感じ。
フォーさんはハノイの美術学校の最初の卒業生で、30年代にパリに移り、以来、死ぬまで一度もハノイに帰ることはなかったという。彼はトンキンの王様の子孫で、イラストレーターのPierre Le Tanさん(むかし、『翼の王国』でイラストを描いていたこともあった)はフォーさんの息子さんなのだとか。

Pierre le Tan さん

フォーさんの奥様のポレットさん(生粋のパリジェンヌ)はご健在で(95歳というけど信じられないほど美しく聡明な方だった)、彼女に招かれてフォーさんのアパルトマンに行った。

アトリエはそのままで、フォーさんが敬愛していたというボナールとマティスの写真が飾ってあった。


若き日のフォーさんの自画像

1931年の植民地博覧会のアートディレクションをしているフォーさん。


1931年のパリの植民地博覧会以来、ベトナム近代絵画は、とにかくすごい成功をおさめ、未だに当時のコレクショナーのお子さんやお孫さんが博覧会当時の絵を大事に持っていることもあるという。

しばらく、フォーさんとその仲間たちの軌跡をできるかぎり追ってみようと思う。

| にむらじゅんこ | パリ | 18:41 | comments(5) | trackbacks(19) | pookmark |
常玉の墓

5月24日に行われた香港クリスティーズで、常玉(1901−1966)の絵に入札が殺到し、アジア美術界では大きな話題になった。下の絵は5億2千万円で売れていったという。

小さな猫が鳥を狙っているこの絵の中の鉢には程曄覆討い海Α砲慮斥佞綴られています。そして、北宋画家、崔伯の「双喜図」からインスピレーションを得たものだとおもわれる。

Le chaton, l’oiseau et des petits
Huile sur isorel, 50’s


常玉はモンパルナスに住んでいた画家で、一生中国に帰ることなく、パリを終の棲家として選び、1966年にガス中毒で静かにひとりで死んでいった中国人画家だ。




毛筆で字を書くようにスケッチをして、1920年代後半のパリの美術界を騒がせていたこともあった。





そんな彼が通っていたモンパルナスの・グランドショミエール画塾。今も健在で、1920年代とあまりかわっていない! マティスもここで一時期教鞭をにぎっていたという。常玉がジャコメッティに出合ったのもここだ。
多くの外国人が裸婦スケッチをしていた。当時のように。





サブリエール通りの常玉のアトリエ兼アパルトマンも、当時のままだった。
誰か彫刻家が住んでいる様子だった。
もうすぐ彼の命日が近づいているのでお墓参りにいってみた。





パリ郊外にあるパンタン墓地はとてつもなく広く、墓地の中で車が必要。これこそ、巨大ネクロポリス。

必死の思いで常玉の墓を見つけた。第92ブロックにあった。すごく歩いて疲れ果てたので、墓地で、思わずヒッチハイクをしてしまった。ユダヤ教の司祭が車に乗せてくれた。

常玉がすきだった菊の花を買って埋めてみた。喜んでいるといいなあ。合掌。

1920年代の常玉(左)。
50年代は一枚も絵が売れず苦しんでいた時期。自分の絵が5億2千万円で売れたと聞いてどう思っているかなあ?




| にむらじゅんこ | パリ | 19:12 | comments(4) | trackbacks(5) | pookmark |
世界一観光客の多い場所でゴミ拾いをする団体と渋谷ナイキ公園計画
 

 エッフェル塔の下でゴミ拾いをした日本人団体green birds がフランスのテレビに流れたそう。私のフランス人の継母はテレビでそれをみて、大笑いしたそうです。

「世界一有名な場所でゴミを拾うなんて、まあ! みんなに“見てください”って、ね! なんて格好悪い人たちなんでしょう。もっとたくさんゴミが落ちているところは沢山あるのに!」

「もしや?」と思って聞いてみると、やはり。green birds。ナイキがスポンサーで、渋谷駅前の宮下公園をナイキに安く譲って、市民を公園から追い出そうとしている人が絡んでいる、ゴミ拾い団体……。

本来、ゴミを拾うボランティアの行為って、誰からも代償をもらわず、もとめず、、ひっそりとやるものでは? 
近所でも、公園のお掃除しているおじいさんがいるけど、おじいさんは誰からもお金をもらっていないし、決してメディアの目が向けられることのない墨田区の辺境で何十年間も毎朝続けている。善意の市民たちの顔に泥をぬっているような感じがする。

公園は、スポーツ好きな若者のためのナイキ公園になる。もちろん、おじいさんとか、おばあさんの憩いの場所ではなくなる。宮下公園はホームレスる。お金を生まない年寄りとともに、ホームレスを社会の屑として「お掃除」したいのか。 気持ち悪い偽善的なファシズムだ。

「街がきれいになると、心もキレイになる」が、この団体のコンセプトなのだそう。 小学生ではあるまいし、こんな言説的に危険なキャッチフレーズをコンセプトにするなんて、リテラシーの欠片も持っていないみたい。うわ〜、やばい。

あまりにも気持ちわるくて眠れなかったので、この怒りをフランコフォーンの人たちにむけて伝えたく、仏作文してみた。

フランコフォンの友人がいらっしゃる方、以下、無断転載可能、どんどん流通させてください。  
 

*****


 

 Le Parc Miyashita est-il un produit de NIKE ???

 

L’arrondissement de Shibuya est actuellement en train de planifier la cession du parc Miyashita, qui est situé à proximité de la station Shibuya, à la société NIKE -Japan.

 

Ce projet a été imposé à la municipalité, de manière verticale et autoritaire : ni l'assemblée municipale, ni le conseil d'urbanisme de la ville n'ont été consultés et il est pratiquement impossible de trouver des informations dans les documents mis à la disposition du public. Nous voudrions savoir de quelle manière Nike s'est vu associé à ce projet.

 

Au fait, il y a un certain Ken Hasebe qui siège au conseil général. Il est l’un des dirigeants des Green Birds, un groupe de ramaseurs de déchets qui s’est fait remarqué dernièrement au champ de Mars par une démonstration très médiatisée. 

Green Birds est sponsorisé par NIKE et Monsieur Hasebe, avant d’être conseiller de l’ arrondissement de Shibuya a travaillé pour l’ agence de publicité HAKUHODO.

 

Selon ce projet, le NIKE -Park serait à l’avenir un espace réservé aux jeunes sportifs.

 

| にむらじゅんこ | パリ | 09:26 | comments(3) | trackbacks(34) | pookmark |
アンリ=ピエール・ロシェとサンユー
 常玉(サンユー)が油絵を描き出したのは、アンリ=ピエール・ロシェ(Henri-Pierre Roché, 1879-1959)と契約を結んだ年でした。

このひとがロシェ (C)Man Ray


 このロシェという人物は、フランソワ・トリュフォー監督によって映画化された『突然炎の如く(Jules et Jim)』、『恋のエチュード(二人の英国女性と大陸)』、そしてドワイヨン監督の『シャルロット・ゲンズブール/愛されすぎて』などの原作者であり、現在では作家として知れ渡っているようですが、当時は美術の方面でよく知られていた人物でした。



 このロシェは、とりわけお金持ちの家に生まれたというわけではありませんが、すごく目利きの人だったようですね。誰よりも早くピカソに目をつけ、マリー・ローランサンとの激しい恋に落ち、いつのまにか、20世紀初頭の美術界で重視される人物の一人となっていきます。
 この、ロシェさんは、三角関係の王様というか、恋愛上手というか、とにかくたくさん、不特定多数的な女性関係を結んでいた超プレイボーイだったようです。作家のフランツ・ヘッセル(ベルリンからパリに移住し、ヴァルター・ベンヤミンと友人になる)との三角関係もありました。それを描いたのが、たしか、『突然炎のごとく』だとおもいました。映画のジュールはフランツ・ヘッセルで、ジムがアンリ=ピエール・ロシェです。また、アポリネールとロシェとローランサンの三角関係もこれまた複雑で、ロシェはアポリネールを気に入っていたのでした。女性は単なるエクスキューズで、実は、ホモソーシャルな男同士の繋がりを欲していたのかもしれないなあ、と私は思います。

デュシャンやピカソ、マックス・ジャコブ、ピカビア、ヴォルズ、カルダーなどなど、彼のコレクションと交友は、実に多岐にわたってます。彼がサポートしていたエコール・ド・パリ期のかけだしの外国人たちの中には、ブルガリアからのパスキン、ジョルジュ・パパゾフ、日本人画家の海老原喜之助といった人物がいました。 そんなロシェが、29年にモンパルナスの新星として白羽の矢をたてた作家が常玉だったわけです。ロシェは、29年から31年までの3年間で、111枚の油絵と、600枚のデッサンを常玉から購入しています。
 
以下は、ロシェが購入した常玉の絵画の一部です。


常玉《白いカーテンの前の二人の裸婦》1929年


常玉《絨毯の上の裸婦》1930年代


常玉《バイオリンと八卦》1930年代、鏡に油絵の具




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| にむらじゅんこ | パリ | 00:39 | comments(0) | - | pookmark |
ロバート・フランクとサンユー

(c)Robert Frank

 ロバート・フランクと常玉との出会いは、世界のアートの中心がパリからNYへと移った第二次世界大戦直後の1947年、または48年のようです。常玉は、どうやらニューヨークで2年を過ごしているようです。このときの常玉のルームメイトがが、写真家のロバート・フランクでした。

 ロバート・フランクは、裕福なユダヤ商人の家系に生まれています。写真家として1946年にスイスからアメリカに移民し、常玉と出会った頃は、アレクセイ・ブロドビッチに雇われて『ハーパース・バザー』誌のフォトグラファーとして活躍していた頃でした(実はこのロバート・フランクに常玉を仲介したのは、常玉の手紙から判断すると、どうやら、アーヴィン・ブルーマンフィールド のようです)。かくして、常玉は、フランクとイーストサイドの11番街53番のロフトに転がりこんで奇妙な二人の共同生活が始まりました。

ロバート・フランクは、常玉のために、マンハッタンのギャラリー(Passadoit Gallery)にて、常玉の個展を企画しています。しかしながら、個展では常玉の絵は売れず、常玉はフランクにすべての油絵を「アパルトマン代だ」と残してパリに帰ります。
 23歳も歳が離れた常玉と、ロバート・フランク。異なる文化背景で育ってきて、世代も違う二人ですが、「お互いに惹かれあうものがあった」とフランクはいいます。フランクは、常玉という人間の中に「中国的な、しかし、彼だけの個性的な、何か英知のようなもの」を見出していたのです。以降、フランクはフランスに立ち寄るたびに、どんなに忙しくても、常玉に会いに行く時間だけは惜しみませんでした。モンパルナスの常玉の家をトントンとノックして前触れもなく、ひょこんと現れるロバート・フランクに常玉は「Qu’est-ce que tu fais là ?!(君、そこで何やっているんだ?)」とふざけながら答えるのが常だったようです。

 常玉の死後、ロバート・フランクは、2000年に『Sanyu』というタイトルの映画を製作しています。『Sanyu』は、フランクが手持ちのビデオで撮った27分の常玉へのレクイエムです。映画は、サビリエール通りの常玉のかつてのアトリエ兼アパルトマンを舞台にしたノン・フィクションとドキュメンタリーの要素が混交する、ちょっと風変わりなプライベート・フィルムです。

 常玉がパリに戻る際にフランクに残して去っていった作品は、半世紀の間にわたってフランクに所有された後、1998年に、中国人美術学生をサポートするイェール大学の「常玉奨学金(Sanyu Scholarship Fund)」の資金源となっています。

以下は、かつてロバート・フランクが所蔵していた常玉の作品の一部です。

常玉《金魚》1940年代 マティスの《金魚》よりも、浮遊感をかんじさせる一枚で、私の最も好きな常玉の作品一枚です


常玉《白い馬と黒い馬》1930年〜1945年(この作品に15年かかったと裏に描かれています。恋人を想い続けて描いた作品のようです。


常玉《虎嘯》1940年代。闇に吼える虎。このタイトルもカッコいいです

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| にむらじゅんこ | パリ | 20:27 | comments(7) | - | pookmark |
SANYU


金融危機のあおりを受け、中国現代美術の値段が3分の一になってしまったそうです。ここ数年の中国現代美術はバブリーでした。まだ、中国では、現代美術は勿論のこと、近代美術ですら、しかるべき評価は定まっていないと思います。

20世紀をかけぬけた中国人画家で、私が一番好きなのは、常玉(サンユー、Sanyu, 1901-1966)です(実は、修士論文のテーマに彼を選びました)。彼は、20歳でフランスへと留学し、そのままパリのモンパルナスを終の棲家とし、フランスで活躍した画家です。常玉がパリに到着した1920年代は、モンパルナスで、エコール・ド・パリと呼ばれる外国人たちが大活躍をしていた時期でもあります。常玉の友人だった龐瞼戮両攜世砲茲襪函⊂鏘未魯團ソの友人だったといわれています。また、通っていたグランド・ショミエール学校ではジャコメッティと親しかったようです。

1920年代の常玉のデッサン。そう、彼は立派な脚フェチでした。)

そんな常玉は、藤田嗣治ほどブレイクはなかったものの、モンパルナスの人気者だったようです。常玉の才能に目をつけ、彼を経済的にサポートしたメセナが、アンリ=ピエール・ロシェでした。ロシェは、フランソワ・トリューフォー監督の「突然炎のごとく」の原作者です。フランスの画商、美術品収集家、編集者。また、ダダの作家としても知られます。NYのダダ雑誌『Blind Man』を創刊したり、アールブリュットのコンセプトをジャン・デュビュッフェとともに打ち出していったのも、他ならぬアンリ=ピエール・ロシェです。常玉は、そんなロシェの秘蔵っ子となり、経済的にサポートされていました。

戦後、常玉を支えた友人のひとりには、写真家のロバート・フランクがいます。フランクは、常玉より24歳も若いのですが、年齢も国境も越えてお互い惹かれあっていたようです。ちなみに、現在の常玉の墓石(@パンタン墓地)のお墓を整備し、墓石を買ったのは、このロバート・フランクです。ロバート・フランクは2000年に、この常玉についての短編映画『SANYU』を製作しています。なかなか目にすることができない作品なのですが、ドキュメンタリー×プライベートフィルム×ノンフィクション のような不思議な感覚の映画です。

ロシェやフランクの他にも、多くの芸術家たちを惹き付けてやまなかった常玉。彼の作品は、今みても、全然、色褪せていません。彼の絵は状態がよくないし、個人蔵が多いので、なかなか鑑賞する機会がありません。去年は常玉の作品を台湾などで20点ぐらい見ることができたのですが、今年は、30点ぐらいは見てみたいなあ、と思います。



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| にむらじゅんこ | パリ | 02:21 | comments(6) | - | pookmark |
2009年はアナーキスムの年(になるか)



2009年1月15日には、プルードンの生誕200周年! 
アナーキストの祖、ピエール=ジョセフ・プルードンの未公開手記『Carnets inédits : Journal du Second Empire』が、2009年2月にパリのフランス国立科学研究センターから発売されるそうです。

というのも、「財産とは窃盗」と言いきったプルードン、現在、どうやら再評価されているようなのです。アナーキズムは「流行」しているとも言えるかもしれません。フランスの警察やメディアによる「アナルコ・オトノム」への強迫概念や、ギリシャの青年たちの反乱における赤と黒の旗の活躍を見ていると、そう思えます。

でも、結局のところ、「アナーキズム」とは何なのでしょう。 論理的なフレームなのでしょうか。それとも、スペインの全国労働者連合のように、闘争にコミットした組織のイデオロギーなのでしょうか。それとも、パンクのような「破壊的創造」のまたの名なのでしょうか。アナーキストは、リバータリアンとは違うのでしょうか。

考えると、夜も眠れなくなるので、あまり考えたくないのですが、ル・モンド・ディプロマティーク一月号は、アナーキスム特集です。
お正月は、アナーキスムの映画でもみて過ごそうかな。ピエール・カルルの映画とか、スペッツァーノ・アルバネーゼ(イタリアのカラブリア州のアナーキスムの町)のドキュメンタリーは面白そうだな。

(アナーキストのためのフィルモグラフィ)
La bande à Bonnot, de Philippe Fourastié avec Bruno Cremer, Jacques Brel, 1968.
Nada, Claude Chabrol 1974
La Cecilia (film, 1975), Jean-Louis Comolli 1975
La Belle Verte, France, Coline Serreau 1996
Fight Club, USA, David Fincher 1999
Albert est méchant, France, Hervé Palud 2004
Ni vieux, ni traîtres, Pierre Carles 2006.
Autrement, reportage en Suisse, une des terres du combat Marx vs Bakounine.
Spezzano A, une commune anarchiste en Italie
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| にむらじゅんこ | パリ | 13:11 | comments(0) | - | pookmark |
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